1970年

 

「イアラ」

奈良時代の大仏建立から話は始まる。大仏の人柱となった女「サナメ」が死ぬ間際に叫んだ「イアラ」という意味不明の言葉。

その言葉の意味を知ろうとする恋人の時空を超えた旅が始まる。

この物語は、全7章で構成されている。

奈良時代が舞台の第1章「さなめ」→物語の導入だけあって微に入り細に入り丁寧な書き込み。

平安時代が舞台の第2章「しるし」→ここで、「イアラ」という言葉がキーワードとなって物語りは本格的にミステリー路線に入っていく。

戦国時代が舞台の第3章「わび」→秀吉と利休の確執を描きながら「無作為の作為」論が実践される。ある意味で非常に怖い内容。

江戸時代が舞台の第4章「かげろう」→松尾芭蕉翁と、曾良(ここでは、主人公の男)がひとりの女郎を追い求めてゆく。

江戸末期が舞台の第5章「うつろい」「洗礼」の礎とも思える内容。年を取ってゆく美しい姫が「老い」を恐怖する物語。

昭和が舞台の第6章「望郷」→昭和時代。ここでは混沌とした中で初めて女が男の存在に気づく。が、男は捜している女と違う、と断言する。

そして未来が舞台となる第7章「終焉」→最初のコンセプトに戻る。未来。地球が終わる寸前に最後の生き残りとなった男と女。そして「イアラ」

という言葉の意味がここで解読されるのだ。

サナメは、本人は知らないが、転生をしている。そして男は、年を取らず恋人を探しつづけるのだ。鎌倉時代、平安時代、戦国時代、江戸時代、明治、昭和、そして未来へと…。

興味を引くのはその時々の中に現れる著名人であろう。松尾芭蕉や千利休。秀吉とか。かなり哲学的な台詞が飛び交い、幼い私には

ちんぷんかんぷんでしたが、「無作為の作為」は面白かった。なんのかんのいいながらもヒューマニズムにあふれてる「男」。それを取り巻く

「時」を見据えてる利休とか、芭蕉。あらためてこのテーマを考えるのにやはり壮大だなあ、と思うことしきり。

この作品のテーマは「時」である。時空を超えて男が女の臨終の言葉の意味を探るためにさすらうというロマンチックな内容だが、その内容は大人向けの

味つけで時代というものの背景を知らずして、読むことは不可能なのである。

「漂流教室」



映画化され、テレビ化され、はたまた海外での評価も高いというこの楳図代表作品のひとつ。「漂流教室」実は樫原は、これを全編通して読んだのは

つい最近だったりします。ラストは知っていたんですがね。途中のお話はまったく知らなかった。怪虫事件や、きのこによる新人類変身とか、ホラーの

エッセンスをとりまぜながら恐怖とSFが見事に融和され、さらに人間同士(子供同士か?)の軋轢や妄執などといった「精神面」の描写と、まったくもって

これ以上の作品を描ける漫画家は他にいないのか〜?ってな名作。当時まで死ななかった子供が無残にも殺されて死んでゆくさまを描いたのもこの作

品が

最初ではなかったろうか?あまりにも残酷すぎてついていけない読者もいたのでは?でも改めて読むとほんとによくできた作品。怖いくらいの楳図的「愛」

が伝わってきます。


「洗礼」



この作品、実はビデオ化されてるんですね。実写で。原作をほとんど無視した作品ですが・・・。

この作品は「少女コミック」誌に連載された(漂流教室後の少女マンガではこの後は描いてなかったような気がする。)

世にもおぞましい母と娘の物語。ストーリーをご存知の方には申し訳ないがあらましを紹介しよう。

醜くく顔が老いていく「女優」が取った究極の手段は自分の娘を生んでその娘が自分と同じくらいの大きさになったら

脳の移植を行う!というとんでもない発想のお話。首尾よく母親と娘の脳移植は成功して、娘になりすました母親はあの手この手で

娘の学校の教師「谷川」を手に入れようと画策する・・・。ところが大ドンデン返しの結末が待っていたのだ!

と、まあこんな感じなのだが、母親の脳が入った娘「さくら」の意地悪な(というか)残酷な行為は目を背けたくなるほど徹底している。

今のイジメだってここまでやるかな?今ならやるかもしれんな。

電話機(昔のダイヤル回すヤツ)の終点にカミソリを置いてたり、ゴキブリの入ったおかゆを食わせたり、果てはアイロンで局部を焼こうとしたり、

車の中にはムカデ〜。

でもって、少女マンガであるにもかかわらずかなりのイヤらしい性的描写もあるのです。これは子供心にこんなの描いていいのかなあ?などと

思っておりました。(今、見ると「は〜ん」てなもんですがねえ)

このモチーフは、突如引退した女優「原節子」への謎に迫る楳図の物語なのでしょうね。「老醜をスクリーンにさらけ出したくないから」を理由に

鎌倉に隠居した名女優。樫原も、この女優さんのお話を描いてる最中です。でもホラーじゃないですけどね。(^O^)

1980年

「わたしは真悟」

長編SFものである。コンピュータが自ら意思を持ち、自分に知識を与えた父母を探し回るというストーリー。

しかし、地球規模の話になり国家陰謀やら政府機関やらが登場し、すんごい展開をする。

個人的には「わたしは真悟」のトビラ絵が好きである。ウメカニズムを原宿で開催したときにナマの楳図先生の原画を

見たが「わたしは真悟」のトビラ絵の構図といい、絵柄といい「負けた」というよりその芸術性に脱帽したのであります。

閑話休題。「子供」であることにこだわる楳図先生ならではの大人になることへの違和感を打ち出している。たとえば機械の

発する音を、何かのメッセージだと聞くことや、悟の友達が夏休みを境に第二次成長期にはいるシーンなど子供の観点から

大人を見据えた描写は、やはり何かを訴えているような気がしてならない。筆者はこの物語はコンピューターの子供である、

真悟がまりんを救出するシーンで完結だと思っている。悟もまりんもこの奇跡に気づかずに大人への道へ行ってほしかった。

しかし、あのドット絵はひたすら描いたのでしょうか?うーんこれまた脱帽!

何かの本(?)かテレビで実際に聞いたのですが、パソコンをつないでいる裏側のあの配線状態が人間の血管に似ているという

話は、さすが観点が違うと思いました。

 

「神の左手悪魔の右手」



「錆びたハサミ」→往年の「半魚人」を彷彿させるような人体切り刻み描写!エイリアン「ますみ」のおぞましさ!

「消えた消しゴム」→「ヒトは死ぬと本当の正体が現れる」という楳図理念を描いた傑作。うーん。

「女王蜘蛛の舌」 →蜘蛛の描写には舌を巻きますね。ホンマ。蜘蛛のイメージってやはり女性的。

「黒い絵本」
→ダリオ・アルジェントのイタリアンホラーを見るようなどぎつい描写の連続。美少女が残酷なまでに殺される!

「影亡者」
→短編「背猛霊」の長編版という感じ。人間の背後霊がその人間の幸、不幸を決めてしまうという恐ろしい話。

そのどれもが徹底的にスプラッター系に

属する作品群。アメリカンホラーの影響か?出版社側の作為か?これでもかという残虐性を剥き出しにしたホラーを描き出している。

しかし、僭越ながら楳図先生の感覚はお年を召しているせいで帰って無理してない?という個所が見えなくもない。当然のごとく

他の作家には、こういうものは描けないが…。たとえば女子中学生の会話である。現代的なセリフを入れてあるが、

別にそこまでリアルに書かなくても…。あと直立不動のギャラリーたち。そしてファッション…。

ちょっといただけないシーンがいくつかありましたが、純粋に見る分にはま、いっかってカンジでした。

しかし「エルム街の悪夢」「13日の金曜日」「エイリアン」(実際に「錆びたハサミ」でエイリアンという言葉を

使ったときは、ブッ飛びましたが…)的で私好みですが、リアル過ぎましたね。内臓ぐっちゃり系は結構疲れました。

「影亡者」では再び「若森世津子」なる「原節子」ネタを登場させていました。楳図先生は「原節子」のファンなんですね。

個人的には「黒い絵本」の連続殺人犯の男が「漂流教室」の「関谷」みたいで好きでしたが。

「14歳」



楳図マンガの集大成とも言えるべき金字塔的作品。単行本で14巻。その壮大なスケールと宇宙観は読者の目を見はらずには

おれないような、そんな気迫さえ伝わってくる。御年六十ン歳にしてこの活力、見習うべきものがあります。

内容は、滅び行く地球から逃れた宇宙船の行く末をひたすら描く。チキンジョージなる化け物が唱える地球滅亡説に始まり、

各国の首脳陣の苦悩、滅亡に付随する天変地異のあれこれ、はたまたエイリアンの襲来。選ばれた子供たちの戦い、邪まな

考えの恐るべき人間たち。全ての人類は14歳で終わるのか?それともそこから始まるのか?「漂流教室」を彷彿させたり、

「洗礼」にみる老醜への恐怖あり、高校生記者の「エミ子」くんが出たり、はては「岬一郎シリーズ」の岬探偵が首相に

なったりと、ファンにはたまらないキャラが出てくる。(ゴキンチ登場には、「どうしたんだ?先生??!」と

思わずいってしまいましたが…)

宇宙は一匹の「芋虫」だったのですね。われわれはそういう世界の中で一生懸命生きているんですね。ミクロとマクロが

交わる世界。それが真実「世界」なのかもしれない、という楳図理論に脱帽。

「妄想の花園」単行本未収録作品集

 


これまでに、単行本に掲載されていなかった「未収」作品をここでいっきに収録した作品群が発売された。
高校生記者シリーズ中の第2作目
「悪魔の24時間」、少年サンデーにシリーズ化された楳図かずおの短編など、
ファンならずとも、垂涎の一冊である。さらに初期作品の
「猫面」「ゆうれいがやってくる」などは、補筆をして
あたかもエッチングのような雰囲気をかもしだしている(いいか、悪いかは別として・・・)

新作の
「妄想の花園」「万華鏡」などは、「14歳」と同時期だと思われるが、その内容の濃さは色あせていない。
現実と空想のはざまに生きている人間の苦悩を描き出している。

楳図先生はこれ以降作品を発表していない。僕ら楳図かずお世代に育った者はやはり新作を期待しているのだ。
掲載される機会がくれば、僕は必ず楳図ワールドへといざなわれてしまうだろう。その日が来るのをいまかいまかと待っているのだ。



「復刻本シリーズ」 に行く!

参考資料



小学館「ウメカニズム 楳図かずお大解剖」「恐怖への招待」

なお、イラスト,その他の文献は「楳図かずお」諸誌本より引用。


サンコミックス「楳図かずおのこわい本」より
秋田書店「ミイラ先生」「鬼姫」「のろいの館」表紙カバー他

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